19330625②致增田涉

330625②致增田涉



    葉書を遠く到着しました。
    この頃上海に支那式の白色テロが流行し始めました。丁&··玲女士は失踪し(或はもう惨殺されたと云ふ)、楊銓氏(民権同盟幹事)は暗殺されました。「ホアイト·リスト」の中には、私儀も入選の光栄を獲得して居るそうだが兎角尙手紙を書いて居ります。
    併し生きて居ると頗る面倒くさいと思ふ。
    井上紅梅君は上海に来て居ます。こんなテロを調べて何&··か書くのでしょう。倂しそれは中々たやすくわかるものではない。 草々頓首

洛文 六月廿五夜

增田兄几下


    一、殘叢。『新論』は種々の刊本あり、叢殘と顚倒して居るものもあるでしょう。『小説史略』の方は或る類書から引いて来たのですから其の儘にした方がよい。
    残=完全でない=断片;叢=こまごまなるもの=(or)ごちゃまぜたもの。
    合=聚めるor会する。
    二、此恒遣六部使者。六部使者とは幽界の使者です。文中の「此」とは即ち幽界を指して居ます。佛教と道教との混血児で佛経には小乗経典に出典があるかも知らんが読んだ事がないからはっきり言へません。
    迥国行脚の僧をば支那では六部と云ひません。
    三、劉向所序六十七篇中、已有『世説』。「劉向の序(編輯の次序をつける)したる所の六十七篇の中に既に世説あり」と訳す可きものでしょう。
    四、松下勁風。あの時に使った『世説新語』はもう目の前にないから、明瞭に言へませんがその通りに殘して下さい。日本製の大字典は辭源から取ったゞろ—がしかも辭源は中々あてになりません。
    番外、雜烩。 種々なものを混雑して炒したもの、鍋の&·まゝに出さない。併し煮るとは違います。炒とは鍋に少量の豚油を入れて煮立たあとに材料を入れで二三十度迅速に攪動して皿に入れる。


    A、臨川人湯顕祖は傳奇四種を作り皆な夢に関する事を材料とす。だから一般に『玉茗堂四夢』と云はれる。『邯鄲夢』も実はもと『邯鄲記』と云ったので後人がそれを『……夢』としたのです。
    B、「登太常第」は即ち「進士及第」です。訳すれば「太常(禮部)に試験を受けて第に登ばた」の事です。特に「太常」と書くのは唐の始めには禮部試験をやったのでは無かたからです。或は進士及第と訳した方がわかりやすいかも知れません。
    C、「國忠奉氂纓盤水……」それは文章に間違があります。陳鴻君の原来の間違か或は後人の伝抄の間違か知りませんけれども。実は「國忠氂纓奉盤水加劍……」としなければなりません。大臣が罪人になったから牛の毛で拵へた纓&··(—纓)で絲のものに替へ、盤の中に水を入れ、盤の上に&··剣を加へ、其れを捧して帝の所へ行て「何卒、殺しなさい」&·と云ふそうだ。剣は自分を殺す道具、盤中の水は帝が自分を殺した後、御手を洗ふに使かひます。頗る考へとゞいた礼節です。それは漢の礼制で、けれども本当に行ふたのでは、ないでしょう。出典は『漢書』の『鼂錯傳』の注に有ります。


译文
    明信片早已收到。
    目前上海已开始浒中国式的白色恐怖。丁玲女士失踪(一说已被惨杀),杨铨氏(民权同盟干事)被暗杀。据闻在“白名单”中,我也荣获入选,而我总算还在写信。
    不过,我觉得活着也够麻烦。
    井上红梅君到了上海来,调查这恐怖事件,想写些什么罢。但这是很不容易了解真像的。草草顿首

洛文 六月廿五夜

增田兄几下


    一、残丛。《新论》有各种刊本,也有颠倒为“丛残”的罢。《小说史略》是从某类书引用来的,还是照旧为好。
    残=残缺=断片;丛=细的或杂的东西。
    合=聚合或会合。
    二、此恒遣六部使者。六部使者是阴界的使者。文中的“此”,即指阴界,在佛经里也许是出典于佛教与道教的混血儿小乘经典,但因未读过,不能确说。
    迴国行脚的和尚,在中国不称六部。
    三、刘向所序六十七篇中,已有《世说》。可译为“刘向所序(定编次)的六十七篇里面,已经有了《世说》。”
    四、松下劲风。那时所用的《世说新语》,手头没有,不能说清楚,请照原样。日本编的大字典,可能是从《辞源》摘录的,而《辞源》很不可靠。
    另外,杂烩。是混杂种种原料炒的。上菜时并不连锅,炒与煮不同,炒是在锅里放少量猪油烧热再加原料,用锅铲迅速拨弄二三十次后盛在盘里。


    A.临川人汤显祖,作传奇四种,均以梦为题材。所以一般称《玉茗堂四梦》。《邯郸梦》原是《邯郸记》,后人把它当做《……梦》了。
    B.“登太常第”,即“进士及第”。直译是“受太常(礼部)考试及第”,特别写作“太常”,是因为唐朝初期没有礼部考试。或可译进士及第,也许较好懂。
    C.“国忠奉牦缨盘水……”文章有误,不知系陈鸿原文之误,抑或是后人传抄之误。其实应是“国忠牦缨奉盘水加剑……”。据云大臣犯罪,用牛毛做的缨代替丝做的缨,盘中盛水,盘上摆剑,捧着这些东西,走到皇帝的面前,说“请处决罢”。剑是杀自己的武器,盘中的水,是皇帝在处决大臣后洗手这用,是想得颇周到的礼仪。那是汉朝的礼制,但恐并未真正实行。出典见《汉字。晁错传》的注。